橋本公平
ブルーチップ代表
愛知県生まれ、ちょっと千葉県育ち、だいぶ愛知県育ち。
大阪在住。
大阪には20年以上いるが、いまだネイティブの大阪弁を話せない。
・マーケッター
・Webデザイナー
・セールスコピーライター
子供時代のおはなし
小さい頃は活発で、勉強はできないが、スポーツ(サッカー)ができるというだけで、なぜか学級委員になっていた。
バレンタインのチョコを渡されるが、家に帰って母親に見つかるのが恥ずかしいので、「そんなもんいらん!」と跳ね返し、女の子を泣かせたことが過去が3度ほど(後藤さんはじめ、ごめんなさい)。
一部では「将来この子は不良になる」と囁かれていたが、サッカーばかりでそんな余裕もなく、高校までボールを追いかける日々。
ふらふらした後、いきなり独立&極貧
一般文系大学卒業後、広告制作会社のコピーライター、清掃スタッフを経験し、大型プリント出力のデザイナーに。
その事業部がつぶれ放り出されるも、その会社にいつづける気になれず、勝手にWebデザイナーと名乗り、独立。
コネなし、スキルなし、営業経験なし、家の家賃が払えないという、ないないづくしのオンパレードからスタート。
独立後、最初の2年はほぼ仕事がない極貧状況がつづいたが、制作会社の下請けデザイナーとして徐々に信頼を得ていく。
その後、受けきれないほどの依頼がつづき、「3年がんばって食えなかったら、得意な清掃業に戻ろう」という独立時の決意をギリギリで却下することに。
直請け案件のみにシフト
そして、仕事をこなしていくうちに、「下請けの仕事は直接クライアントに会えないのでおもしろくない」と下請け業務をシャットアウト。
元請けのみのフリーランスWebデザイナーとして、営業、構成、デザイン、コーディングをひとりですべて担当する。
直接クライアントとやりとりするビジネスに変えたことで、
- 年商500万のECサイトを1億超えに
- とある企業の売上げを半年間で5倍に
- Webサイト経由で2億円の成果に
- ニッチな業種の企業サイトをリニューアルし、新卒採用応募が2倍に
などの実績を残す。
あれ?なんか違う・・・から生まれた変化
その後、案件によっては思ったような成果につながらない問題に直面。
いろいろ足りない頭で考えているうちに、マーケティング視点が不足していることに気づく。
同時にコピーライティングの重要性も知り、「あれ?昔じぶんはコピー書いてたやん」と思い出し、再び猛勉強をはじめる。
デザインできて、コピーも書けて、マーケティングもできるフリーランスってなかなかいないよね?
クライアントからWebサイトの依頼があっても、「Webサイトつくるより、まず安価で結果のはやいチラシのほうがいいのでは?」とアドバイスもできるし、コピーを書くのはもちろん、クライアントに書き方をお伝えできたり、デザインやCMSの質問にも即座に答えられる。
そういうポジションで活動してくうちに、
- マーケティングをいろいろ勉強してるけど、自社に落とし込めない社長。
- ホームページ制作会社がアドバイスをくれないので、自社でなんとか集客を行っているが成果の出ない社長。
- ホームページを現状をまったく把握していないのに、なぜか特定の施策を自信満々に進める社長。
- ホームページやWebで集客することしか頭にない社長。
- 今やるべき施策をせずに、やらなくてもいい施策ばかり俄然張り切っている社長。
- ホームページはつくったけど運用の重要性や方法が分からず、放置してしまっている社長。
など、自立したマーケティングを欲している小さな会社の社長の存在を知る。
社外のマーケティング部 部長
多くの社長が、マーケティングの知識やノウハウを自社落とし込めずに悩んでいる。
ホームページ制作会社に頼らず(頼ることができずに)、自力で集客やマーケティングをがんばっている社長を見るうちに、小さい会社でも自立したマーケティングができるようなサポートを始める。
クライアント企業に「社外のマーケティング部 部長」として一時的に就任することで、システマチックな更新、客観的な現状把握と仮説、改善を、自社でスムーズに回せるようにし、あなたの会社にもっともマッチした集客の仕組みづくりを提供。そして、自社にそのノウハウを蓄積してもらい、プロがいなくても自立した活動ができた時点で、部長はさっさと退任する。
クライアントオリジナルの仕組みで「集めなくても集まる存在」に設計する専門家として活動中。
好きなものこと
◯東南アジア
まだ渡航数は少ないが、ミャンマーがもっとも印象的
◯植木
まわりから初老と言われるが、まあ初老なのだから仕方がない
◯コーヒー
マニアではないが、飲む。グァテマラが好き
◯キャンプ
ぜんぜん行けてない。あの早朝の澄んだ空気がなんともいえない。